史跡・名勝
新切御番所跡
にいぎりごばんしょあと
住田町にはかつての南部藩と伊達藩の藩境が通り、慶長3年の伊達領27ヶ所の番所設置の際、町内に「新切番所」「二度成木番所」「小股番所」が置かれました。「新切番所」には今泉奉行所から役人2名が90日交代で派遣されていました。
新切部落ドビヤ
にいぎりぶらくどびや
「ドビヤ」とは、岩山の上の洞窟に祀った「御宮」を表す「洞宮」が訛ったものといわれます。その御宮の荒廃が進むなか、ある日やって来た山伏の勧めに従って神様を一ヶ所に集め、年1回お祭りを行うようになりました。
九両が池と櫃割長者
くりょうがいけとひつわりちょうじゃ
ある長者が庭の大きな池で九両をすくったところ、やがて蔵が埋まるほど大判が貯まりました。それを櫃に入れると櫃が割れたことから長者を「櫃割長者」、その池を「九両が池」と呼んだという、おめでたい伝説が残っています。
鏡岩
かがみいわ
気仙川上流部、垂直に屹立する大きな岩で、月夜、特に十五夜に岩に映る松の影が、まるで鏡に映っているように見ごとであることから名付けられた景勝地です。岩から湧き出る水は眼病に効くとされ、古くから信仰されてきました。
下有住供養前
しもありすくようまえ
村の発展を願って造られた鎮守の森です(年代不詳)。昔、地理的、景観的に恵まれた場所で、現在ではかつての面影は薄れてきましたが、当時からの古い桜と老松が残り、その根元には芭蕉の碑、名馬の碑が建っています。
玉桂と長桂寺
たまかつらとちょうけいじ
天文23年(1554年)一翁舜嶽大和尚により開基、近くの大きな桂の木にちなんで長桂寺と名付けられました。一度、落雷で倒れたものの根から数十本の新しい芽を伸ばし、遠くからは玉のように見えたので「玉桂」に。樹齢800年以上。
種山ヶ原
たねやまがはら
住田町から奥州市に広がる山上の高原で、宮沢賢治がこよなく愛してたびたび訪れました。伊達藩の放牧地として利用され、現在も500町歩が草地造成されています。最高地点標高871mの物見山には無人雨雪量観測所が設置されています。
熊野山常光寺址
くまのさんじょうこうじあと
嘉禄年間(鎌倉時代)天台宗所属として創建、『気仙風土草』には「長さ2尺余りの鐘があった」との記述があります。鎌倉、室町期の古碑が現存、仏像2体が玉泉寺に安置され、うち「十六才聖徳太子像」は病気、建築に信心されています。
平田城(外根岸城)址
ひらたじょう(そとねぎしじょう)あと
慶長6年(1601)、南部勢が攻撃して激戦が展開され、付近には戦死者の遺体が累々と横たわる無残な光景が繰り広げられたという歴史の残る砦跡です。「平田の砦」とも呼ばれていました。
葉山薬師神社
はやまやくしじんじゃ
室町期は葛西氏の旗頭・千葉氏の氏神だったと伝えられる神社で、古くから「葉山のお薬師様」と親しまれてきました。疫病を司るとされるお天王様(牛頭天王)を祀っていますが、馬頭観音信仰もあったと考えられています。
浄福寺とイチョウ並木
じょうふくじといちょうなみき
天文5年(1536)開基、現在の伽藍は寛政12年(1800)に建立されたもので、伊達藩の領主が巡視の本陣として宿泊した記録が残っています。参道のイチョウと境内の笠松は開基の頃に植えられたといわれ、樹齢は約480年にもなります。